「うちの家紋は丸にタチバナです」
そう言って渡されたお墓の写真には『桐紋』が写っている。
なんてことはお墓職人であればちょくちょく遭遇します。
ご自分のお家の家紋、ご存知ですか?
私は今までお墓職人として200件を超えるお墓の打ち合わせを行ってきましたが、初めからご自分の家紋についてなんとなくでもご存知の方は全体の約6割程度。その中で家紋の呼び名まで正確に把握されている方は、さらに半分くらい(つまり全体の3割程度)でしょうか。
「お墓について考えるまで、家紋について全く知らなかった。興味もなかった」という方も多く、「身内を亡くし、お墓を建てる(修理する)と考えるようになって、初めて自分の家紋を知った」というのは割とよくあることです。
そこで今回は
・自分の家紋を調べる方法
・お墓に間違った家紋を彫ったことがわかったら
・なぜお墓に家紋を彫るようになったのか
・十大家紋
など「お墓と家紋にまつわる話」をお伝えしたいと思います。
「お墓のことだけいい」という人は、最初の「自分の家紋を調べる方法」と、最後の「こんな家紋だったら間違っているかも」を読んでください。
あとは家紋に関するウンチクです。ただ、お時間があるとき読んでいただけると、家紋を間違える確率がグンと減ります。
*注:家紋には地域差があり、この記事は「富山県内では一般的に」という枕詞があるとご理解ください。他地域では適さないこともあります。ご了承ください。
自分の家紋を調べる方法
家紋を調べる方法は3つあります。上から順に「信頼度が高く、調べやすい」方法となります。
1)本家、親類のお墓を調べる
2)年長者に確認する
3)蔵や着物などを調べる
順番に説明していきます。
1)本家、親類のお墓を調べる。
できるだけ古い本家や親類のお墓を調べてください。
ほとんどの場合、お墓のどこかに家紋が記されています。
注意点は2つ。
・同じ姓の親類お墓を選ぶこと
・できれば3基以上のお墓を調べること
同姓であっても血縁がないと、家紋が異なることがあります。
複数のお墓を調べるのは、(仮にご本家のお墓であっても)間違った家紋がお墓に刻まれている可能性があるからです。
2)年長者に確認する
同姓の親族の年長者に家紋をたずねることで、家紋がわかる場合があります。
おじいちゃん、おばあちゃんや親族年長者がご健在でしたら、話を聞いてみてください。
ただブログ冒頭のエピソードのように、「家紋の名前を勘違いしている」場合や、「実家の家紋と嫁ぎ先の家紋を混同している」可能性もあるのでお気を付けください。
3)蔵や着物などを調べる
ご実家や親族が所持している蔵や着物に家紋が記されている場合があります。
ただ女性の着物の場合、一般的にお墓に刻むその家の「男紋」ではなく、女性に受け継がれていく「女紋(もしくは実家の家紋)」である場合があるので注意が必要です。(女紋の扱いは地域によって異なります)
例えば、富山県では嫁方の実家から送られる品に、嫁方の実家の家紋が添えられていることがあります。
私事ですが、義実家から嫁入り道具として贈られた桐ダンスには、義実家の家紋が記されています。
見つけた家紋の名前を調べるには
以上の方法で調べた家紋はデジタルカメラなどで撮影し、インターネットや家紋辞典などで名前を調べます。
ここで注意していただきたいのは、「ちょっとでも形状が異なる場合、別の家紋として扱うケースもある」ということです。
それを判断するのはある程度家紋についての知識がないと難しいものです。
正確な判断を行うには、信頼のできる経験豊富な石材店や表具店などに協力してもらうと安心です。
お墓に間違った家紋が彫ってあったら
いろいろ注意をしてお墓を建てたにも関わらず、家紋を間違えてしまうこともあります。(ごくまれにですが、そんなご相談を受けることもあります)
その原因は石材店の技術不足や知識不足からのミスであったり、そもそも施主様の勘違いに起因するものだったりします。
一度彫った家紋を修正することはできるのでしょうか?
答えは一応「Yes」。
ですがえんぴつで書いたものを消しゴムで消す様な簡単な作業ではありません。
その方法は大きく分けて4つ。
- 石膏や粘土などで埋める
- 石を削る
- 上から別石で装飾する
- 石を交換する
詳しくはこちらの「お墓に書かれた名前や家紋に間違いを見つけたとき@富山のお墓の場合」をご参考ください。
実際に私が日々の仕事で活用している「実践的な家紋の知識」をほぼ網羅しているのでちょっと長くなりますが、読んでいただけるとお墓の営業マンよりも詳しくなるかもしれません。
なぜお墓に家紋を彫るようになったのか。~家紋の歴史~
家紋の役割は「目印」です。
「これはわが家の所有物です」ということを示すために用いられています。
家紋のもとになる文様(人工的な模様)は、公家など身分の高い人たちが、衣服や牛車などに装飾として描いたものです。
やがてそれが「自分(個人)の所有物であることを示す文様」になり、さらに特定の家を示す「家紋」へと発展していきます。
当初これらの文様は中国からの影響を受けていましたが、家紋として使用されるようになった平安時代に、唐が滅亡して遣唐使が廃止されたことで「大陸的な文様」は次第に「日本独自の文様」へと発展していきます。
鎌倉時代になると武家でも家紋が使われるようになり、全国に広まっていきました。
庶民の間に家紋が広まったのは明治初期。
明治8年「苗字必称令」により定められた苗字と共に広まっていきます。
「苗字必称令」により自分の苗字を決めなくてはいけなくなった庶民は、自分では読み書きができないため、学のある神主や僧侶、医師や名主などに付けてもらいます。
村民みんな同族だからと「村の全員が同じ苗字」になったり、「住んでいる土地の名前を苗字」にしたケースもありました。
富山県の射水市新湊(いみずししんみなと)では、釣りが上手だから「釣さん」、船(舟)をたくさん持っているから「舟さん」と名付けられたという逸話がある珍しい苗字もあります。
私はお会いしたことはないのですが「酢」「飴」「魚」「波」「菓子」「村椿」などとっても珍しい苗字もあるそうです。
ちなみに、富山県では「田」が付く苗字が多いようです。さすが田んぼが多い「米どころ」ですね。
(*注:「江戸時代でも農民が苗字を持ってい地域があるった」、という文献もあります。ただ、公称は禁じられていたようです。)
案外いいかげんに決められた庶民の苗字の様に、庶民の家紋も似たような感じで決められていったようです。
「今でこそ庶民の身であるが、そもそもわが家は由緒正しい〇〇家の…」という家系でなければ
・有識者に付けてもらった家紋
・村民みんな同じ家紋
・当時何かしらの縁があった家紋
などをその家の家紋としたケースもあったようです。
苗字は明治五年に自由に変更することを禁止されましたが、家紋には法的な拘束はありません。
ですから明治初期から今に至るまでの間に、家紋を変えている人もいたようです。
実際に「これは私が作った家紋ですが、お墓に彫って欲しい」とか「本家が嫌いだから家紋を変えてしまいたい」というご相談を受けたこともあります。
「お墓に家紋を彫る」という行為も、江戸初期にはほとんど見られず、幕末に向かって次第に増えていき、明治になって急速に広まり一般化していきました。
庶民が苗字を持ったのが明治8年(西暦1875年)ですから、今(2020年現在)から145年前。
そのころから家紋も広まり、お墓に彫られるようになったのでしょう。
お墓はその家の記念碑とも言えるものです。
そこにその家のシンボルともいえる苗字や家紋を彫るのは自然なことでした。
「家紋はたったの145年の歴史」と言われることもありますが、それでも苗字と共に受け継がれてきたものです。約5~6代前のご先祖様から続いてきた歴史を、大事にするのも意味があることだと私は思います。
十大家紋
このブログを書くにあたり、インターネットで「家紋」について調べなおしてみると、「五大家紋」や「十大家紋」という言葉を見つけました。
これは「全国的に広く普及している家紋」とされていますが、個人的に所持している資料や、図書館にある家紋関連の書籍で調べてみても、それらしい記述は見当たりません。
ウィキペディアでも十大家紋については「この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です」と表示されます。
『十大家紋 フリー百科事典ウィキペディア参照』
ただ私的な感覚ではありますが、「十大家紋」は「富山県内でもお墓を建てるときによく見かける家紋」ばかりでしたので、教養の範囲として形と名前を一度見て確認しておくのはいいかもしれません。
この中にあなたの家の家紋がある可能性も高いと思われます。
*注:ここでは「柏紋」「桐紋」などと紹介していますが、これは「柏(桐)をモチーフにした家紋群」という意味です。
そして絵として紹介しているのは「私が富山県内でよく見かける、その家紋群の家紋を抜粋したもの」となります。
柏紋(かしわもん)
神職に多い家紋といわれています。
また、三菱の車のマークであるスリーダイヤのもとになった家紋です。
片喰紋(かたばみもん)
非常に繁殖力が強い片喰は子孫繁栄のシンボルとされ、あらゆる業種身分の家々に使用されています。
ちなみにわが家(亀山家)の家紋。
ハートの形が片喰の葉を表し、とがった部分が剣を表しています。
桐紋(きりもん)
古来、皇室皇族など身分の高い家柄の家紋に用いられてきました。また日本政府を含めた数多くの公的機関のシンボルマークとしても使用されています。
通常、皇室関連の家紋は一般では使用を認められていませんが、この桐紋は禁止されなかっため多くの家系で家紋として使用されています。
レンタルで和装を借りると、大体この桐紋が入っています。
鷹の羽紋(たかのはもん)
植物由来の家紋が多い中、珍しい動物関連の家紋。
武家に人気がありました。
重なり方が逆の家紋もありますので、ご注意ください。
大抵は左側が上です。「右重ね」だった場合は間違っていないかちょっと疑ってもいいかも。
橘紋(たちばなもん)
源氏、平氏、藤原氏と並び平安時代に強い権力を持った橘家の家紋。
形が特徴的で、私はとてもかわいく感じています。
このブログの冒頭で間違われた家紋でもあります。桐紋とは全然違いますよね。
蔦紋(つたもん)
江戸時代に大流行した紋。
植物に絡みつきたくましく繁殖する姿が子孫繁栄につながると武家でも好まれました。
また「お客に絡みついて離さない」とイメージからか、遊郭などでも広く用いられたという色っぽい話もあります。
藤紋(ふじもん)
日本の公家を代表する藤原家、藤原一族末裔の家紋として広まっています。
「藤原」「藤木」「藤澤」など「藤」が付く名前の家紋はみんな「藤紋」を使っている、なんて情報もありますがもちろんデマです。
そして当然ですがユッキーナとは全く関係ありません。(もう数年もすればこのネタもわからなくなるか)
茗荷紋(みょうがもん)
神仏の加護を表す「冥加」と音が同じなので、縁起がいいと広まった家紋。
茗荷ってショウガ科なんですって、ご存知でしたか?
私事ですが、妻の実家の家紋でもあります。
木瓜紋(もっこうもん)
身分にかかわらず広く浸透している家紋。
富山県内で一番多い家紋だと私は思っています。
木瓜(もっこう)については
1)「きうり」とも読めるので「キュウリ(瓜)の断面図」という説
2)神社のご神体の前にかけられた御簾(みす)の上端にそって張られる布で作られた額を「帽額(もこう)」と言い、その帽額に描かれていた文様から作られた家紋も「もこう」と呼ばれたため、「木瓜」という漢字を充てた、という説。
の2説があります。
私が口頭で説明するときはわかりやすい「キュウリ説」を使っています。
下賀茂神社 御簾( Photo by (c)Tomo.Yun )
ちなみに、帽額(もこう)に描かれた文様は「地上の草むらなどに作られた鳥の巣」をモチーフにしているとされ、その巣のことを「窠(か)」と言います。ですから木瓜紋を窠紋(かもん)ということもあります。
上記の説明は結構複雑なので、「木瓜紋は富山県内で一番よく見かける家紋」とだけ覚えてもらえば十分です。
富山県では全体の約3分の1程度が木瓜紋というデータもあります。
他府県ではどうなのかわかりません。木瓜紋は富山県と新潟県では一番多い家紋。
埼玉、栃木、岩手、青森、北海道、和歌山でも同様に木瓜紋が多く見られるそうです。(2020年1月20日追記)
家紋についてあまり詳しくなかったお客様から「どのお墓にも彫られているから ”お墓には必ず彫る模様” だと勘違していた」と言われたこともあります。
沢瀉紋(おもだかもん)
オモダカの葉の形状をモチーフにした家紋。形が矢の鏃(やじり)に似ていることから武家に好まれたと言われています。
私は「十大紋の中では一番見かけないかな」という印象です。
こんな家紋だったら間違っているかもしれません
以下、一番多い「木瓜紋(もっこうもん)」を例にご説明いたします。
丸がない家紋
家紋の周りに輪がない場合、お墓に適さない家紋かもしれません。
線画の部分が多い家紋
全体的に線で描かれている部分が多い場合、お墓に適さない家紋かもしれません。
横木瓜の場合、お墓に彫るのは一般的なには「丸に横木瓜」となります。*もちろん、「特殊な事情」でお墓に彫刻した可能性もあります。が、「施主様や石材店が間違った」という可能性もあります。
参考文献:
「ご先祖様、ただいま捜索中!」 丸山学著 中公新書ラクレ
「知識ゼロからの日本の家紋入門」 楠戸義昭 幻冬舎
「家紋で読み解く日本の歴史」 鈴木亨 学研
「面白いほどよくわかる 家紋のすべて」 安達史人 日本文芸社
「日本人の心がみえる家紋」 楠戸義昭 毎日新聞社
「図示日本の家紋」 新人物往来社
「家紋の不思議」 コアマガジン
「家紋と名字」 網本光悦 西東社
「見る知る楽しむ 家紋の事典」 日本実業出版社