親にとって、子供はいつまでも心配なようです:令和最初のお彼岸の話

親にとって、子供はいつまでも子供。

心配のタネであり、どこにいても思ってくれているようです。

令和最初のお彼岸に、そう思える体験をしました。

 

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それは「あと3日で秋彼岸の入りが始まる」という日の夜のことでした。

今年は消費税の増税が迫っているせいか、仕事が立て込み、本当に忙しく過ごさせていただきました。

日付けが変わるまで墓地で仕事をしていた日も何日かありました。

それでも彼岸の入りに間に合わず、仕事が残ってしまい、お参りにいらっしゃる方にご迷惑をおかけしそうです。

家に帰った私は明日の仕事の流れを書きだし、時間配分を考えていました。

20日の『彼岸の入り』には墓地にお参りに来る人がいらっしゃいます。
「早い人は朝6時くらいからいらっしゃる。その邪魔にならないように仕事をするためには…」なんて考えていました。

今日も仕事から帰ってきたのは夜の9時過ぎ。

お風呂に入って、夕飯を食べ終わるころには家族は各自の部屋に戻っています。

家族には「連日、遅い帰宅が続いて申し訳ないな」と思いながらも、誰もいないリビングは考え事をするのに最適な空間で本当にありがたい。
A4用紙に明日すべき仕事を書き出し、簡単に1日の流れを決めます。

メモやカレンダーを見て、忘れている用事がないかもチェックします。
スマホで天気予報を見ると「雨マーク」が出ていました。
そうなると朝一番でテントを建てないといけません。
併せて、テントが吹き飛ばないように風が強くないかも調べます。

そうこうしているうちに時間はドンドン進みます。
時計の針は11時をまわっていました。

 

何度か書き直した予定表を眺めていると
「まだ起きていたんか?水でも飲まれ」と、家族がコップに水を入れて持ってきてくれました。

「ありがとう。もう寝るよ」
テーブルに置かれたコップを手に取り、水をひと口含みます。

ちょっとぬる目の水が、喉を潤していきます。

 

「体調が悪いときは、常温の水の方が体に吸収されやすくて良い」
以前、情報番組でそう言っていたのを思い出しました。

なるほど。
確かに胃に負担はかからなそうだ。
でも冷たい水の方がスッキリするよな。

そんなことを考えながら顔を上げると、そこには父が立っていました。

「あ……」
「ありがとう」とお礼を言おうと思ったのに声が出ません。
伝えたいことがたくさんあるはずなのに、言葉の糸は絡まったままです。

「あんまり無理するな。でも、がんばれ」
懐かしい声で静かにそう言うと、父は寝室へと消えていきました。

 

 

次の瞬間、私は暗闇の中で飛び起きました。
カーテンの裾から月明かりが差し込み、ここが寝室だと思い出しました。
頬が濡れているのに気付き、手で拭います。

横ではチビの寝息がいつものように聞こえます。
規則正しい小さなささやきが、私の鼓動を落ち着かせてくれました。

時間を確認すると、午前3時半。
起きて準備をしようと考えていた時間でした。

 

わざわざ起しに来てくれたのか。

 

父が亡くなって8年。
私も今年で43歳のオッサンです。

それでも親にとって、子供はいつまでも子供。
心配のタネであり、どこにいても思ってくれているようです。