親にとって、子共はいつまでも子供。

心配のタネであり、どこにいても思ってくれているようです。

令和最初のお彼岸に、そう思える体験をしました。

 

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さて、それは今月の19日の夜のことでした。

今年は雨が続いたことと、消費税増税のせいでしょうか。
おかげさまで仕事が立て込み、本当に忙しく過ごさせていただきました。

日付けが変わるくらいまで墓地で仕事をしていた日が何日かあったくらいです。

それでも彼岸の入りにも墓地で仕事が残ってしまい、お参りにいらっしゃる方にご迷惑をおかけしそうです。

私は明日の仕事の流れをかき出し、時間配分を考えます。

20日の『彼岸の入り』には墓地にお参りに来る人がいらっしゃいます。
「早い人は朝6時くらいからいらっしゃる。その邪魔にならないように仕事をするためには…」なんて考えていました。

今日も仕事から帰ってきたのは夜の9時過ぎ。

お風呂に入って、夕飯を食べ終わるころには家族は各自の部屋に戻っています。
「ここ最近遅くなって悪いな」と思いながらも、誰もいないリビングは考え事をするのに最適な空間で本当にありがたい。

 

A4用紙に明日すべき仕事を書き出し、簡単に1日の流れを決めます。

メモやカレンダーを見て用事がないかもチェックします。

 

スマホで天気予報を見ると「雨マーク」が出ていました。
そうなると朝一番でテントを立てないといけません。
風が強くないかも調べます。

そうこうしているうちに時間が経ちます。
時計を見ると、11時をまわっていました。

 

「まだ起きていたんか?水でも飲む?」
家族がそう言ってコップに水を入れて持ってきてくれました。

「ありがとう。もう寝るよ」
テーブルに置かれたコップを手に取り、水をひと口含みます。

ん?ちょっとぬるいな。常温?
そう思ったとき、父との最期のやり取りを思い出しました。

 

 

体調を崩した父が「水持ってきて」と言ったとき、私は常温の水を持って行きました。

私としてはつい先日テレビで仕入れた「体調が悪いときは、常温の水の方が体に吸収されやすくて良い」という知識を実行したのですが、父は冷たい水が欲しかったみたいでした。

「ぬるいな」
ひと口飲んでそう言います。

「冷たい水も用意してあるよ」とすぐに言ったのですが「もういい」と言われ会話は終わりました。

それが家で父とまともに交わした最後の言葉でした。

私にとってそれは思いだすのが辛い記憶です。

「いつもなら冷たい水を用意するのに、なんでぬるい水を飲ませたのだろう」
なんて今さらどうしようもないことを考えてしまうからです。

 

「あれ?」
と顔を上げると、そこに父が立っていました。

水を持ってきてくれたのは父だったようです。

「あんまり無理するな。でも、がんばれ」
そう言って父は寝室に向かっていきました。

 

 

次の瞬間、私は暗闇の中で目を覚ましました。
横ではチビの寝息がいつものように聞こえます。

夢だったか…

頬が濡れているのに気付き、手で拭います。
時間を確認すると、朝の3時半。
起きて準備をしようと考えていた時間でした。

 

わざわざ起しに来てくれたのかな。

 

親にとって、子共はいつまでも子供。
心配のタネであり、どこにいても思ってくれているようです。

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