「お彼岸にはお墓参りに行く」ということは知っていても「なぜお墓参りなんだろう?」と考えたことはありませんか?
ここでは
1)一般的に言われている「お彼岸にお墓参りに行く理由」
2)お墓職人の私が考える「お彼岸にお墓参りに行く理由」
について解説しています。
「こんな見方もあるのか」程度で読んでください。
春分の日、秋分の日とは
春分や秋分とは1年間を24に分けた二十四節気の1つで、昼と夜がちょうど同時刻になります。
二十四節気(にじゅうしせっき)は、今でも立春、春分、夏至など、季節を表す言葉として用いられています。1年を春夏秋冬の4つの季節に分け、さらにそれぞれを6つに分けたもので、「節(せつ)または節気(せっき)」と「気(中(ちゅう)または中気(ちゅうき)とも呼ばれる)」が交互にあります。太陰太陽暦(旧暦)の閏月を設ける基準となっており、中気のない月を閏月としていました。二十四節気は、その年によって1日程度前後することがあります。
春分、秋分の日を境にして昼が少しずつ永くなり、反して夜が短くなっていきます。
春分、秋分の日を中心として前後の三日間を加えた七日間をお彼岸と言います。
そして春分、秋分の日はお彼岸のちょうど真ん中なので『中日(ちゅうにち)』とも言います。
一般論:お彼岸は「極楽浄土に祈りが届きやすい日」
一般的に「お彼岸にはお墓参りを」と言われています。
これは
- 観無量寿経にある「極楽浄土に生まれる方法」の1つとして「日想観(正座をして日没を観る修行)」が大切な修行とされている。
- そして中日には夕日が阿弥陀如来の西方浄土がある真西に沈む。
などの理由で「極楽浄土に祈りが届きやすい日」とされているからです。
なので「大切な故人やご先祖様に対して冥福を祈るとそれが通じやすいと考え」られ、お墓参りを勧められるようになりました。
詳しくは「お彼岸ってどんな日?お彼岸にお墓参りをするのはなぜ?お彼岸にはお墓のここをチェックすべし。」をご参考ください。
私論:お彼岸は「いつもの反対を意識する日」
併せて私はお彼岸について簡単に、「お彼岸はいつも見ているものの反対のことにも心をむける日」とご説明することもあります。
いつも『自分目線』ばかりになりがちなら、その反対の『他者目線』を意識すること。
いつも『結果』ばかりを気にしているならその『過程』にも目を向けること、
いつも『体』ばかりを気にしているなら『心』にも注意を払うこと、
いつも『他人』ばかり見ているなら『自分』のこともしっかり見ること、、
いつも『生』に執着しているなら、必ずおとずれる『死』のことも想像すること、
いつも『見えること』に注意を払っているのなら、それを支える『見えないこと』にも感謝すること、、
いつも『光』の方を向いているなら、その裏にある『陰』も認めること、
物事には必ず反対の事象があります。
「どちらかに『偏る、片寄る』ばかりでは生けないよ」
そんなことを教えてくれるのが『中日』ではないかと私は考えています。
お彼岸にお墓参りをするのは
いつも目の前の『生』や『動き』ばかり見るのではなく、
『死』や『静寂』にも目を向けることになります。
『生きている家族』もいれば『亡くなった家族(御先祖様)』もいるのです。
それを『忘れている』のではなく『思い出す』きっかけとしてお彼岸はあるのかな、って私は思います。
ただこれはあくまで私の考えであって、仏教的な教えに基づいているわけではないのでご注意ください。
私もついつい自分目線でばかり考えてしまうので、中日の今日を境に「他者目線」も特に意識したいと思います。