秋のお彼岸にお墓参りに行く理由

 

お彼岸が近くなると、お墓にお参りにいらっしゃる方がいつもより増えてきます。

そして墓地でお墓の仕事をしている私に、声をおかけ下さる方も多くなります。

そのとき「お彼岸について」をお話することがあります。

・なぜお彼岸にお墓参りをするのか
・そもそもお彼岸っていつからいつなのか
・この時期に咲いている彼岸花ってどんな花なのか
・秋彼岸に食べるのはおはぎかぼたもち、どっちなのか

今日はそのとき私が話している【秋彼岸についてのアレコレ】を書いてみました。

秋のお彼岸はいつからいつまで?

秋分の日(今年2021年は9月23日・木曜日祝日)中心とした前後3日間を含む合計7日間を秋彼岸と言います。

期間のはじめを「彼岸入り」、真ん中の日を「中日(ちゅうにち)」、終わりを「彼岸明け」と言います。

お彼岸にお墓参りをするのはなぜ?

『彼岸』はもともと「向こう岸」という意味です。

それが転じて「あの世」や「悟りを開いた状態」を指すようにもなりました。

仏教では昼と夜が同じ時間になる彼岸の中日は『この世(此岸:しがん)とあの世(彼岸:ひがん)が近くなり、「こちらの思いが故人に届きやすい日」』とされています。

 

つまり、お彼岸にお墓参りに行くのは「故人に対する気持ちがもっとも届きやすい日」とされているからです。

「どうか天国で安らかにいて欲しい」
「いろいろあるけど、遺された家族みんなでがんばっているからね」
「たくさんたくさんありがとうね。あとはもう大丈夫だから」
そんなあなたの気持ちを、大切な故人に届けるにはピッタリの日なのです。

 

国民の休日を決める法律でも

秋分の日は「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ」

内閣府 国民の祝日に関する法律(昭和23年法律第178号)より

と定められています。

秋彼岸の時期によく見る彼岸花について

秋風が気持ちよく吹くころになると、田んぼのあぜ道や墓地の片隅に真っ赤な花がいっせいに咲き始めます。

秋のお彼岸の頃に咲くからか、この真っ赤な花は『彼岸花』と呼ばれています。

色鮮やかな花ですが、ちょっと不吉な『別称』や『いわれ』があるのをご存知ですか?

ちょっと不吉な彼岸花の別称

墓地の片隅に咲くことが多いせいか、彼岸花は不気味な名前を多く持っています。

異名が多く、死人花(しびとばな)、地獄花(じごくばな)、幽霊花(ゆうれいばな)、蛇花(へびのはな)、剃刀花(かみそりばな)、狐花(きつねばな)、捨子花(すてごばな)、はっかけばばあと呼んで、日本では不吉であると忌み嫌われることもあるが、反対に「赤い花・天上の花」の意味で、めでたい兆しとされることもある。日本での別名・方言は千以上が知られている。

ウィキペディア ヒガンバナより

有名な『曼殊沙華(まんじゅしゃげ)』という別称は、法華経などの仏典にでてくる「天上の花」という意味になります。

ちょっと不吉な彼岸花のいわれ

「家に持って帰ると火事になる」

「触ると手が腐る」

「彼岸花は人の魂をとらえる」

こちらもあまり縁起のいいいわれじゃありませんね。

彼岸花に不吉なイメージを付けられている理由

「彼岸花に不吉なイメージ」が多いのは、華や球根に毒が含まれていることが関連しています。

少し食べたくらいでは大人が即死ぬわけではありませんが、身体の小さな子供には危険な毒。

そんな危ないものを子供たちが間違っても口にしないように、という配慮が不吉な別称やいわれにつながっているのではないでしょうか。

 

そんな彼岸花も球根を水にさらすことで毒素を取り除けるので、貴重なたんぱく源になります。

しかも有毒の彼岸花は年貢の対象となっていなかったので、普段は田んぼのあぜに植えておき、飢饉のときの非常食にしていたとも言われています。

 

また球根の毒が、食物を荒らすネズミや土に穴を掘るモグラを遠ざけるとして、畑の周りに植えられました。

墓地に植えられたのは、土葬されたご遺体を動物に荒らされないようにするためです。

 

どちらにしても、興味本位で引き抜いたり粗雑に扱って踏みつけたりしない方がいい花です。

秋は「おはぎ」か「ぼたもち」か

彼岸の入りには仏壇のお供え物を買ってきます。

そのときにいつも母に「おはぎとぼたもち、どっちだっけ?」と聞かれます。

秋彼岸はどちらかご存知ですか?

 

「おはぎ」=「御萩」 「秋」が入っているから「秋はおはぎ」

と私は覚えています。

 

ということは、春彼岸にお供えするのは『ぼたもち』=『牡丹餅』となります。

おはぎ? ぼたもち? どっち?

「おはぎ」と「ぼたもち」の違い

おはぎには以下のような特徴があります。

・形が、秋に咲く萩の花に似ている。(全体の様子)

こんもりと咲く萩の花

おはぎは粒あんでつくる。

 

「おはぎ」=「粒あん」というのは、小豆の収穫期が秋であることに関連しています。

昔は秋に粒あんを、春にはこしあんを食べた

4月~5月に植えた小豆は、気持ちのよい秋になるとその実を収穫できるようになります。

収穫したばかりの小豆はまだ皮が柔らかく、粒あんとしてもおいしく食べられます。

ただ、冬を越すと小豆は皮が固くなり、裏ごしして「こしあん」にしないと美味しくありません。

ですから秋に食べる「おはぎ」は粒あんで作りました。

今は保存技術も進歩しているので、年中おいしい粒あんを食べることができます。粒あん好きの私にはうれしい限りです。

秋彼岸の時期は月もきれいに見える

秋彼岸の時期は、空に雲が少なく月がきれいに見える時期でもあります。

特に、旧暦の8月15日に見える月を『中秋の名月』と呼んでお月見をする習慣があります。

今年の中秋は9月24日。

ただ満月は翌日の9月25日となります。

24日の天気が悪くて月が見えなくても、25日にもうワンチャンスがあるわけですね。

お彼岸は「仏道修行をするのにピッタリの期間」

彼岸には「悟りを開いた状態」という意味あり、お彼岸の間は仏道修行をするのにぴったりの期間とも言われています。

仏教の修行にはいろいろありますが、6つの心がけを継続する六波羅蜜がおススメです。

六波羅蜜

六波羅蜜は悟るために心がけ身につけるべき6つの徳目のことです。

  1. 布施(ふせ):他人に善行を施す
  2. 持戒(じかい):戒律を守り、身を慎む。他人に迷惑をかけない。
  3. 忍辱(にんにく):身に起こる災いを受け入れ、耐え忍ぶ。
  4. 精進(しょうじん):誠心誠意努力を続けること。
  5. 禅定(ぜんじょう):常に静かな心を持ち、動揺しないこと。
  6. 智慧(ちえ):怒りや愚痴、むさぼりにとらわれず、物事の真理を正しく見極めること。

せめてお彼岸の間くらいはグチを言わないようにしたいと思います。。。。

お彼岸はいつもと反対を見つめ、バランスを取る日

昼と夜が同じ時間になるお彼岸は、仏教が説く「中庸の道」に通じるところがあります。

中庸の道とは簡単に言うと「どちらにも偏らない道」。

私は「お彼岸はいつも見ているものの反対のことにも心をむける日」と表現しています。

いつも『自分目線』ばかりになりがちなら、その反対の『他者目線』を意識すること。
いつも『結果』ばかりを気にしているならその『過程』にも目を向けること、
いつも『体』ばかりを気にしているなら『心』にも注意を払うこと、
いつも『他人』ばかり見ているなら『自分』のこともしっかり見ること、、
いつも『生』に執着しているなら、必ずおとずれる『死』のことも想像すること、
いつも『見えること』に注意を払っているのなら、それを支える『見えないこと』にも感謝すること、、
いつも『光』の方を向いているなら、その裏にある『陰』も認めること、

物事には必ず反対の事象があります。

「どちらかに『偏る、片寄る』ばかりでは生けないよ」

そんなことを教えてくれるのが『中日』ではないかと私は考えています。

(私論:お彼岸の中日は『他者目線の日』)より

 

私たちはついつい目の前のことばかり考えて、自分を支えてくれている目に見えないものを忘れてしまいます。

普段なかなかお礼を言えない「家族」「友人」「命をつないでくださったご先祖様」に心を配り、お彼岸のこの機会に感謝の気持ちを伝えてみてはいかがでしょうか。